人生で初めて、気を許せる友達が出来ました。本音を言って笑,,,

鹿さん
回答数
0
鹿
さん

人生で初めて、気を許せる友達が出来ました。本音を言って笑える友達が。


その友達とは、もう連絡を取らなくなって何ヶ月も経ちます。Twitterで相互フォローしているはずなのに、互いに干渉することすらなくなりました。

自分に非があるのだな、とは、関わっていた当時から薄々感じていました。
彼女は頭が良く、優しく、みんなに好かれる人間。一方自分は頭が悪く、性格も悪く、人と関わるのが苦手な人間。付き合って“もらっている”と感じるには充分すぎる程の劣等感を抱いていました。

彼女が持ち前の能力で色んな人と関わる一方で、自分は彼女にしか気を許せず、他の人とは表面的に関わっていました。自分には彼女しかいないけれど、彼女には色んな人との関わりがある、そう思うと、どす黒い気持ちで塗りつぶされそうになりました。

彼女は要領が良く、自分にとっては“ズル”なのではなないか、と思ってしまうくらい、何でもすいすいとこなしていました。彼女が努力家であることは知っていましたが、その努力すら、自分がするよりも効率がいいことに対して、引け目を感じていました。

一時、躁鬱病等が重なった時に血迷って「彼女に追い付くためには私はズルをしなければとても追い付けない」と思い、自分の価値観で考えて“悪”とされることを行うようになりました。でも、当時の同期を見回した時、それは“悪”でも何でもないように扱われていたので、自分にもそれをやる資格があるはずだ、ないとしたらそれは差別だ、と思い込みました。
彼女に追い付くために、悪いことをしました。自分の許容量を超してもアルコールを飲んだり、人に甘えたりしました。私が人との距離を縮めるために考え付くのは、その程度のことしかなかったのです。
周りの人間は大人だったから、コミュニティーの空気を保つためにそんな私にも付き合ってくれました。周囲の人々が心の中でどんなことを考えていたのかは私には分かりませんでした───というより、私は意識してそれを考えないようにしていました、罪悪感に苛まれてしまいそうだったから。
私がコミュニティーにいた時はみんな、和を保つために私に付き合ってくれていましたが、私が諸事情でコミュニティーを抜けることになってからは露骨に距離を置かれるようになりました。多分、前々からそれくらいの距離を置きたくて仕方がなかった気持ちが、“私がコミュニティーから抜けること”により解き放たれたのだと思います。
そうしてから初めて気が付きました。私には、彼女をはじめとしたそのコミュニティーの人々しかいなかったのだということを。

今思えば、私は彼女に依存していました。
彼女から自分に与えられる“楽しさ”に対して、自分から返せるものなんてひとつもない気がして、貧乏な癖に彼女に色んな物を贈りました。欲しいCDがあると聞けばそのCDを、誕生日が来たら切子細工の酒器を。
そうでもしないと、自分は彼女につり合えないと感じました。それくらい、彼女を理想の友人に思えたのです。

彼女との縁がぷつりと切れた今、私の心の中には虚無感しか残っていません。20年以上生きてきて、彼女以上の友情を感じられる人間に出会えたことがなく、これから先も出会える気がしません。

自分にとって彼女は唯一無二の親友だったけど、彼女にとっての自分はただのモブでしかなかったのだな、と思うと、人間との付き合い方が完全に分からなくなりました。

彼女のことを思い出すと、伊藤計劃氏の『ハーモニー』を思い出します。彼女と二人で映画を観に行ったことも。
何より、作中で描かれた、相手を愛するが故に殺したいと/愛する相手に殺されたいと願う気持ちを思い出してしまって、私も彼女に「殺したい」と思わせる程彼女にとっての大事な人間になりたかったな、と思い、自分の無価値感に押しつぶされそうになるのです。

つぶやき 人間関係

回答一覧

回答がありません