普通ってなんだろう。 それはいくら言語化して、丁寧に伝え,,,

敏感辟易太郎さん
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敏感辟易太郎
さん

普通ってなんだろう。
それはいくら言語化して、丁寧に伝えたって、きっと分からない人には分からないものだと思う。
言葉は、人と人を繋ぐ道具のようにに見えて、実は既に繋がっている人間の強度を増す為だけのものに思う。
自分は、いつだってそういうもので繋がらない人間だったから、言葉というものは往々にして閉鎖的なものだなぁと感じたりする。

普通というのは、自分が見る限り、条件反射的で、システマチックなものだと感じる。
それは、非常に簡略化されたものであって、得てしてそういうものは排他的だ。
しかし、簡略化の部分を紐解けば、必ず俺のような人と繋がれない人間にだって理解できるものなのだけど、その簡略化された部分を説明できる人間はそうそういない。
それは何故かというと、きっと簡略化されてようがされてなかろうが、それを理解できるほど人間が賢いか、それを理解しなくても従っておけば正しいとされる思考を持って考える事を破棄しているかのどちらかなのだろうけど、それはどっちだって良い。
それを理解してるかしてないかなんて、他人は知る由も無いのだから。

「普通」は、言葉としては液体の様に、フレキシブルなものになったと思う。
しかし、その側面が生まれたので、システマチックさは深さを増したように感じている。
例えば、ここからここまでは「曖昧」という状態であり、ここを踏み込んだら「敵意」だとか、「友好」だとか、そういう精神世界があるような気がする。
逆に踏み込まな過ぎても「敵意」だとする場合もあるし、言い方一つにしても、「敵意」とか、「友好」を表現する事が出来る。

アクションを起こすか、起こさないか、という、敵意か友好の表明。
どのようなアクションを起こすかという、敵意か友好の表明。
そしてそれを相手はどう感じるかという洞察。

それを難なく成し遂げている普通の人達は物凄いと思う反面、自分にはそれが出来ないという、絶望、諦め。
そしてそれを表明するほどの、語彙力(口から出る言葉の選び)も無い。
それに、それをどうにかうまく言ったところで、理解なんか大体してくれないし、理解してくれたって、普通の人に、そういう特殊な脳の使い方を強いるのは苦しい事だという真実。
そしてその人が苦しみ、自分から離れていくのを見て、自分は普通じゃないと痛感し、自傷するように自分を責め続ける。
だからいっそ、普通じゃない自分を何か様々な方法で表現してみようと思うのだけど、お金も無い、時間も無い、見てもらう隙も無い。
見てもらったって、相手が疲労するだけで、何も得しない。
そういう方法でしか、自己表現が出来ない。
孤独が好きなのに、人と関わりたい。
そういう自己矛盾は、きっと永遠に消えない。

普通 対人関係

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