日本人のことを外国の方が評価するとき“優しい”と聞くがはた,,,

れなさん
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れな
さん

日本人のことを外国の方が評価するとき“優しい”と聞くがはたして本当だろうか。
間違いではないと思う。ただし、ここでいう“優しい”は例えば、道を教えてくれるとか、「行為」としての優しさだと思うのだ。

“優しい”は間違っていないが“寛容”となるとそれはどうだろうか。
自分自身と少しでも違う個性を持った人に出会ったときに日本人は冷たいと思う。
要するにマイノリティに冷たいのだ。

わたしはそんな経験を子供のころからしてきた。
わたしはシングルマザーの家庭で育ったが、小学生のときに先生が「お前はそういう家庭だからだめなんだ」みたいに言ったときは言葉を失った。
実際学校にも家にも居場所はなかったが、さすがに今でも思い出しては嫌な気持ちになっている。

わたしはどこに行っても、なにをしてもマイノリティなのだが、やはり自分自身が強くなるほかないのだろうか。

日本で同性婚が認められても、LGBTに対する差別や偏見が簡単になくなるとは正直思えないし、(ある意味あたりまえなのかもしれませんが…)生きやすくなるかどうかも厳しいところだろうか…(今よりは生きやすくなると思いたいが)

シングルマザーの家庭も、なによりその家庭の子供も、LGBTの人も、障がいのある人も、病気の人も、どんな人ももう少し生きやすい世の中になってほしいと思う。

最後に自分自身ははたしてどれだけ寛容な心で、自分と違う個性を持った人に向き合えているかもう一度考え直してみたいと思う。

マイノリティ

回答一覧

羊男
羊男
さん
羊男
羊男さん

外国人に対して優しいというよりは正確には英語を喋る白人に対してコンプレックスの裏返しとして優しいです。
コンビニなんかで働いているアジア諸国出身の店員に対する態度を見ればわかります。

私もいくつかの意味ではマイノリティですが、他人に対して優しさを求めることはやめました。
私が求めるのは私の邪魔をしないことだけです。
私に不利益を与えないことです。
それさえ守られるなら、内心でどんなことを考えようと、ぽろっと何を口走ろうと構いません。

質問者のコメント

回答ありがとうございます。
はい、私自身もそのお気持ちよくわかります。
なにも求めないからただ自分に対して嫌なこと等しないでほしいですよね…

ダメじゃない
ダメじゃない
さん
ダメじゃない
ダメじゃないさん

外国人に対して、日本人は優しいと言う意味ではないでしょうか…

質問者のコメント

はい、それはそうなんですが、優しいのと寛容なのって似てるようで違うとわたしは思うので…
いろいろ物事の背景とか、その裏にあるものはこうなんじゃないか、とか考えずにいられないからそれで苦労することも多いんですけどね…
簡単にはやめられないです…

ダメじゃない
ダメじゃない
さん
ダメじゃない
ダメじゃないさん

なるほど。
許容と受容は違うんだよな…と言うのを思い出しました。

確かに寛容と言う意味では、日本人はそうではないかもしれないですね。
古くからの国柄として長い間他国と断絶された小さな島国だったので、異質なもの(LGBTやマイノリティと言う意味でなく、異文化全般や珍しいもの、日本にはなかった新しいもの的な意味で)を受け入れるのが怖い国だからかなと思います。
そう言う意味だと、昔から多国籍な人が多い外国のほうが寛容に見えるかもしれません。ハーフ、クォーター、日系、そういう風に、生まれた時から違って当たり前ですから。
とは言え、私は海外に行ったことないのでわからないのですが…宗教にもよりますし、差別的な人やそうでない人、色々と分かれるようです。

前々から投稿ちらほら読んでいましたが、テレビに出ているLGBTやマイノリティの人を見ても、「へーそうなんだ」となるのは仕方ないと思います。
テレビの中の、知らない人だからです。
知らない人相手には、それ以上の反応はしなくてもいいと思います。

どこの国でも誰でも、重要なのは身の周りにいる親しいごく僅かな人たちのことだけで、その人たち以外に言いふらす必要はないと思います。(言いたい、より多くの人から認められたいなら別ですが)
「自分がマイノリティであることを知っておいてほしい。この人なら理解してくれそうだ」
と信じて思える人にだけ伝えればいいと思いますし、私のFtMの友人もそう言うタイプで、本当に限られたごく一部の人にしか伝えていません。
病院のスタッフにすら、です。

告げられた時、確かに「えぇ!」と驚きましたが、一拍おいて自然と私の口から出た言葉は、
「○○さんは元々女性らしい!と言うようなタイプではないし、男性だとしても女性だとしても、今までと同じく○○さんであることに変わりはない」
と言う返答でした。
私自身、学生時代から女性特有のグループやカーストに属することが苦手で、個々を見て仲良くするタイプと言うある意味マイノリティなので、最初から「女性だから仲良くしている」と言うわけではなかったし、その人であること、その人の中身や性格に性別は関係なかったのです。

最近はまって見ている5人のゲイが出てくる海外のバラエティ番組では、
「同じゲイでも、カムアウトの際に勇気や後押しが必要な人もいるし、全くそうじゃない人もいる。また、カムアウトとして断言しなくとも、日頃の行動で示す人もいる」
と言っていました。
イスラム教やカトリックなんかは宗教で同性愛が禁じられているので、そう言う意味でも大変な人は少なくないようです。
ゲイと言うマイノリティの中でも女装が好きな人もいればそうでない人もいるし、人それぞれ個性やレベル、性格や表現方法があるのには変わりないそうです。(LGBT全てに通ずる話だと思います)

寛容…投稿文から見て、れなさん自身は「マイノリティに冷たい、理解してくれない人たち」に対して、寛容でしょうか。
マイノリティ云々関係なく、人生全般において自分のことを理解してくれない人に対しては、「あぁわからない人なのね」で切り捨てていくか、「この話題は分かり合えないこと」として置いておくしかないように思います。
私の経験上どんなに親しい人でもそうですし、「あなたはそう思うんだね」と言うのを理解して受け入れて、無理に強要しないのが無理なく長く付き合う上で大切だなと思います。

過去の辛い経験から仕方ない部分はわかりますが、そもそも必要以上に分厚い壁を作っているのは、実はれなさん自身も同じように感じました。
シングルマザーや離婚歴なんて今では珍しくも何ともありませんし、むしろシングルマザーで働きながら子供を育て上げた私の祖母に対しては、尊敬すらしています。
むしろ母子家庭に対してそう言う発言をする教師のほうがマイノリティだと思いますし、ネットに晒せば「偏見を持った教師だ!」と叩かれるレベルだと思うので、気にしなくていいと思います。

自分は自分でいいし、周りは周りでいいのです。
そう言う意味では、少しずつ強くなるしかないのかもしれませんね…。

質問者のコメント

回答ありがとうございます。
はい、私自身自分のことを必要以上にマイノリティだと考えてしまうところが昔からあり、やはりそれは良くないなと改めて思いました。
私自身ずっと非常に狭い世界にいるので、今の自分に必要なのは強くなることもですが、やはり人を信じられるようになることだな、と思います。
この二つを大事にしてなんとか生きてきたいです。

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

日本人って「素敵な言動」のことを何でもかんでも「優しい」に分類してしまう、ちょっと語彙がないっていうか、乱暴すぎる物事の捉え方する方が多いですよね。

「優しい」というのはあくまでも「感情主体である状態だ」というふうにしか相手をとらえていないんですよね。
相互理解の点から言えば、乱暴というよりもむしろ失礼な部類に入る行為でしょう。

れなさんが仰る状況、外国人のマイノリティに対する接し方って「優しさ」という「個人のお気持ち」によるものじゃないんですよね。
こういう「優しさ」みたいな個人的感情だけから来る愛を『友愛』っていうそうです。

でも、この「外国人のマイノリティに対する接し方」というのは、子供のときにしっかり教え込まれた「公正の原則」にのっとって示される愛であって、そういう「感情だけではない確固とした原則に導かれる愛」を『アガペー愛』と呼ぶそうです。

日本人は道徳の時間もそうですが、このアガペー愛を単なる感情にのみ任せて優しくして“あげる”っていう自分中心自己満におとしこんでしまってるので、外国人のような人権というルール原則にのっとって相手を扱うというアガペー愛の表しかたが身に付けにくいんじゃないかと思ってます。

「自分は一個の人間として公正な人物で在りたい」っていう、社会正義みたいな?規範意識、「格好つけしい」なことをサラッと言える人にみんなが成れるといいのにね。

質問者のコメント

回答ありがとうございます。
そうですね、日本の道徳の授業がほんとわかりやすい例ですね。「行為としての優しさ」はわかりやすいのでどうしてもそうなってしまうのは仕方がないんでしょうが、宗教のような信念を持っていないとまた難しいところもあるんでしょうね。
でも逆にそのような信念がないからこその寛容な部分も日本人は持っているのかもしれませんね。