こんにちは。社交不安というのは、はなかなかなくなりません,,,
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こんにちは。社交不安というのは、はなかなかなくなりませんね。
昨日もお悩みの投稿を見ながら、この方にわたしも何か励ましやアドバイスができないか、でもなぁ、逆に落ち込ませてしまったりするかも。と尻込みしてしまいましたので、今日もつぶやきというかたちで、ただわたしのお話をしたいと思います。
やはり長くなりそうですね。
長文になってしまうのは昔からの癖です。誰かにお話したいことがたくさんあるのでしょうね。
わたしのこの自己満足でしかないつぶやきが、できれば誰かのお役にたてますように。
ご家族のお悩みを大変多く見かけました。
それは、そうですよね。病気になってしまうと、人間関係がひどく変わってしまったり維持が難しくなってしまうことがほとんどだと思います。
加えて、人間関係から受けるストレスそのものが発症のトリガーになる場合も多くあるはずです。
家族というものは、大抵、その影響がとても強く出るもの。なにせ自分という人間の基礎をつくった場所であり、そこにいる人々は、自分の根幹に影響を与える可能性のある他人ですから。
例えば自分、というものを、物語の主人公としましょう。すると、家族というのは普通、人生というこの物語のどの段階でかは必ず主人公の周りにいるメインキャラクターとして登場します。
特に、現在ご家族のことでお悩みの方にとっては特に今のストーリーでのメインキャラクターになります。
ほかに、お仕事をされていれば会社の人や、通院先のお医者様などよく接するサブキャラクターや、そのあたりにいるだけのモブキャラクターなんかも存在するでしょう。しかし、それらが物語に影響を与える頻度は、メインキャラクターよりはずいぶんと少ないはずです。
わたしの物語にとっても、家族はとても長い間メインキャラクターとして登場していました。
それは両親と兄弟、そして祖母です。
わたしの家族は、おそらく、ひとりひとりは至極まともな、普通の、善良な人々であろうと思います。
しかし、組み合わさるとどういった化学反応なのか、いろんな困ったエピソードが始まるのです。
わたしは長い間、それに振り回されたり対処したり、ときには解決していくお話の主人公をやっていました。
そのせいなのか、やがて物語の舞台が変わり、広い世界でたくさんの事件が起こるようになっても、わたしという主人公は同じ仕事をしようとしました。
大学を卒業し、ひとりぐらしを始め、仕事につく……いわば、ひとりの大人としての物語です。それならば、家族のもとにいた時はこども、いいえ、家族の中のこどもの物語だったと言えるでしょう。
こどもの物語では、家族という世界が壊れてしまえばバッドエンドだと考えた主人公はそれを回避するために、あらゆる綻びを見つけ、修復することを使命としていました。しかしそれは、小さな世界だからこそできていた戦いだったのです。
広い世界には、途方もないほどたくさんの綻びがありました。だけどそれは世界の規模に対しては小さく、放っておいても他のたくさんのサブキャラクターが修復してくれるものだったり、そもそも綻びではなくただのシミや模様であったりしたのです。
小さな世界で、小さな綻びを探す目を鍛えてしまったわたしは、それでも今までのように見つけたそれらひとつひとつに対処しようと駆け回りました。
それが自分の使命であることに変わりはなかったのです。
結果、減らない綻びとバッドエンドの恐怖に疲れはててしまったのです。
それが、わたしのうつの発症の大きな要因であったと思います。
お気づきになったでしょうか。
わたしの、ひとりの大人としての物語には、主人公の他にメインキャラクターが登場していないのです。
離れて暮らしているのに、相変わらずわたしの物語に登場するメインキャラクターは、家族だったのです。
そしてうつがよくならず、仕事を辞めたわたしは、実家に帰り、もとの舞台に戻りました。ですから当然、また家族のなかのこどもの物語で主人公を果たそうとして…………もう、できなかったのです。
綻びを修復することは、世界を救うことではなかったことを、主人公はもう理解してしまいました。
使命にはもう、それほどの価値はないことを理解してしまいました。
それは、自分自身の価値を見失うほどの喪失でした。立っている足元が崩れてなくなってしまったかのような不安定さの中に放り出されたかのようでした。
ですが、わたしはそれを信じたくないがために、そして信じたくない自分を隠すために周りには理解したふりをしながら心の中で理解を拒否をする、という何とも複雑な方法をとったのです。
家族は、そのようにわたしが変わったことを知りません。そして、わたしがやっていた家族のなかのこどもという過去の主人公と、今のわたし自身の見分けがつきません。
お互いの心に溝ができるのは当然なのです。
わたしは、わたしが家族に必要で愛されていたのはきっと、あの主人公だったからなのだと思いました。
そうでなくなったわたしを愛してくれる保証はどこにもなく、主人公役をしていたわたし自身を拒否されることを恐れて、体力が回復したころに再び家を出ました。
幸い、理由は色々と用意できました。実家の周辺にはあまり就職先がなかったこと。そして、ほかの家族のひとりとひどい化学反応を起こす兄弟を家から連れ出してやるために、ふたりで一緒に都市部に出るということ。
後者が綻びを修復する仕事のひとつでもあるためか、それですんなりと家を出ることができました。
経済的にもふたり暮らしなので、貯金で引っ越しをしたにしては心配も少なかったのは救いでした。
とにかく、わたしにとっては、家を出られたことは幸運だったと思います。
そこから、紆余曲折あって兄弟と暮らしていた場所から出ていき、わたしはひとりぐらしになりました。家族である兄弟と暮らし、複雑な方法をとりながらこころを守るのはたいへん疲れることだったのです。決定的な喧嘩はしませんでしたし、この兄弟とは今でも普通にやりとりをする仲です。
わたしは、結局家族が好きでした。一時は親のせいで、家族のせいで苦しいのだと恨みをもったこともありました。嫌みなことや、ひねくれた態度であたってしまったこともありました。
ですが、よくよく観察してみれば、みんな普通の範囲に入るようなひとでした。わたしを理解してくれなくても、苦しかったときにいちばんに助けてくれなくても、家族は家族でそれぞれ頑張って生きている人間でした。
それに、使命を失くしても、たいして価値のないことに全力をかける滑稽な主人公だったとしても、わたしは家族が好きな自分のことは好きだったのです。
そんなことを、最近ようやく気付かされました。きっとこころに余裕が出てきたのでしょうね。
わたしが病気を発症する要因の大きなひとつだったとしても、嫌いにならないといけない理由もありません。好きにならないといけない理由もありません。
なら、今はまだ好きなままでもいいかと思いました。今後嫌いになったら、そのときにまたその嫌いを受け入れようと。
ただ、やはり長い間執着していた家族が近くにいたら、また、助けや理解を求めしがみついてしまいそうな気がします。
だから、実家にはあまり行きたくありません。
もちろん、家族に対しても社交不安が出て非常に疲れるのもありますが、一番はやはり、家族に非常な努力を要することを強要して、困らせたくないのです。
のんきに笑っていてほしいのです。
だから、わたしや病気のことを理解してもらえなくても、泣きたくなるほど寂しいけど、離れていられるなら頻繁に感じることもないし、まぁいいか、と思うことにしました。あるいは、思えるようになれるといいなと思って実践中です。
これが、わたしとわたしの家族のお話です。
もしも、家族を好きでなければならないと思ってる方がいたら、そんなことはないと言いたいです。
逆に、家族を嫌いにならないといけないと思ってる方にも。
わたしはどっちでもいいと思います。
おかしいものでもなんでもないです。
これだけ自分の物語に影響を与えてくるキャラクターたちなのだから、好きにも嫌いにもなるでしょう。
わたしにはたまたま、そこまで直接的に暴力を与えてくるような、金銭面などで明らかに悪事を働く家族はいませんでした。だからたぶん、好きなままでいいかな、なんて結論にしただけです。
家族に感謝しなくてはいけないと思ってる方にも、家族を恨まないといけないと思ってる方にも。
それに感謝してもいいし、恨んでもいいし、両方の気持ちを持っててもいいと思います。
特に感謝なんて、相当に余裕ができなければ生まれてこない気持ちだと思います。
わたしもこれまで、たくさんのひとに支えられてきたというのに、しんどいときの頭のなかでは「クソがみんな○ね」とかばかり考えていました。嫌われるのが怖いから決して口には出しませんでした。同様に、ほぼ毎日考えていた、消えたいとかなんでまだ生きてるんだろうとかいう気持ちも、誰にも言えませんでしたが。
笑い話のように言ってしまうのも困った癖ですね。でも、真剣な話です。
さて、まとまりもなく長いお話をしてしまいました。
ですが、ただのつぶやきですので、ここまでご覧になった方こんにちは。社交不安というのは、はなかなかなくなりませんね。
昨日もお悩みの投稿を見ながら、この方にわたしも何か励ましやアドバイスができないか、でもなぁ、逆に落ち込ませてしまったりするかも。と尻込みしてしまいましたので、今日もつぶやきというかたちで、ただわたしのお話をしたいと思います。
やはり長くなりそうですね。
長文になってしまうのは昔からの癖です。誰かにお話したいことがたくさんあるのでしょうね。
わたしのこの自己満足でしかないつぶやきが、できれば誰かのお役にたてますように。
ご家族のお悩みを大変多く見かけました。
それは、そうですよね。病気になってしまうと、人間関係がひどく変わってしまったり維持が難しくなってしまうことがほとんどだと思います。
加えて、人間関係から受けるストレスそのものが発症のトリガーになる場合も多くあるはずです。
家族というものは、大抵、その影響がとても強く出るもの。なにせ自分という人間の基礎をつくった場所であり、そこにいる人々は、自分の根幹に影響を与える可能性のある他人ですから。
例えば自分、というものを、物語の主人公としましょう。すると、家族というのは普通、人生というこの物語のどの段階でかは必ず主人公の周りにいるメインキャラクターとして登場します。
特に、現在ご家族のことでお悩みの方にとっては特に今のストーリーでのメインキャラクターになります。
ほかに、お仕事をされていれば会社の人や、通院先のお医者様などよく接するサブキャラクターや、そのあたりにいるだけのモブキャラクターなんかも存在するでしょう。しかし、それらが物語に影響を与える頻度は、メインキャラクターよりはずいぶんと少ないはずです。
わたしの物語にとっても、家族はとても長い間メインキャラクターとして登場していました。
それは両親と兄弟、そして祖母です。
わたしの家族は、おそらく、ひとりひとりは至極まともな、普通の、善良な人々であろうと思います。
しかし、組み合わさるとどういった化学反応なのか、いろんな困ったエピソードが始まるのです。
わたしは長い間、それに振り回されたり対処したり、ときには解決していくお話の主人公をやっていました。
そのせいなのか、やがて物語の舞台が変わり、広い世界でたくさんの事件が起こるようになっても、わたしという主人公は同じ仕事をしようとしました。
大学を卒業し、ひとりぐらしを始め、仕事につく……いわば、ひとりの大人としての物語です。それならば、家族のもとにいた時はこども、いいえ、家族の中のこどもの物語だったと言えるでしょう。
こどもの物語では、家族という世界が壊れてしまえばバッドエンドだと考えた主人公はそれを回避するために、あらゆる綻びを見つけ、修復することを使命としていました。しかしそれは、小さな世界だからこそできていた戦いだったのです。
広い世界には、途方もないほどたくさんの綻びがありました。だけどそれは世界の規模に対しては小さく、放っておいても他のたくさんのサブキャラクターが修復してくれるものだったり、そもそも綻びではなくただのシミや模様であったりしたのです。
小さな世界で、小さな綻びを探す目を鍛えてしまったわたしは、それでも今までのように見つけたそれらひとつひとつに対処しようと駆け回りました。
それが自分の使命であることに変わりはなかったのです。
結果、減らない綻びとバッドエンドの恐怖に疲れはててしまったのです。
それが、わたしのうつの発症の大きな要因であったと思います。
お気づきになったでしょうか。
わたしの、ひとりの大人としての物語には、主人公の他にメインキャラクターが登場していないのです。
離れて暮らしているのに、相変わらずわたしの物語に登場するメインキャラクターは、家族だったのです。
そしてうつがよくならず、仕事を辞めたわたしは、実家に帰り、もとの舞台に戻りました。ですから当然、また家族のなかのこどもの物語で主人公を果たそうとして…………もう、できなかったのです。
綻びを修復することは、世界を救うことではなかったことを、主人公はもう理解してしまいました。
使命にはもう、それほどの価値はないことを理解してしまいました。
それは、自分自身の価値を見失うほどの喪失でした。立っている足元が崩れてなくなってしまったかのような不安定さの中に放り出されたかのようでした。
ですが、わたしはそれを信じたくないがために、そして信じたくない自分を隠すために周りには理解したふりをしながら心の中で理解を拒否をする、という何とも複雑な方法をとったのです。
家族は、そのようにわたしが変わったことを知りません。そして、わたしがやっていた家族のなかのこどもという過去の主人公と、今のわたし自身の見分けがつきません。
お互いの心に溝ができるのは当然なのです。
わたしは、わたしが家族に必要で愛されていたのはきっと、あの主人公だったからなのだと思いました。
そうでなくなったわたしを愛してくれる保証はどこにもなく、主人公役をしていたわたし自身を拒否されることを恐れて、体力が回復したころに再び家を出ました。
幸い、理由は色々と用意できました。実家の周辺にはあまり就職先がなかったこと。そして、ほかの家族のひとりとひどい化学反応を起こす兄弟を家から連れ出してやるために、ふたりで一緒に都市部に出るということ。
後者が綻びを修復する仕事のひとつでもあるためか、それですんなりと家を出ることができました。
経済的にもふたり暮らしなので、貯金で引っ越しをしたにしては心配も少なかったのは救いでした。
とにかく、わたしにとっては、家を出られたことは幸運だったと思います。
そこから、紆余曲折あって兄弟と暮らしていた場所から出ていき、わたしはひとりぐらしになりました。家族である兄弟と暮らし、複雑な方法をとりながらこころを守るのはたいへん疲れることだったのです。決定的な喧嘩はしませんでしたし、この兄弟とは今でも普通にやりとりをする仲です。
わたしは、結局家族が好きでした。一時は親のせいで、家族のせいで苦しいのだと恨みをもったこともありました。嫌みなことや、ひねくれた態度であたってしまったこともありました。
ですが、よくよく観察してみれば、みんな普通の範囲に入るようなひとでした。わたしを理解してくれなくても、苦しかったときにいちばんに助けてくれなくても、家族は家族でそれぞれ頑張って生きている人間でした。
それに、使命を失くしても、たいして価値のないことに全力をかける滑稽な主人公だったとしても、わたしは家族が好きな自分のことは好きだったのです。
そんなことを、最近ようやく気付かされました。きっとこころに余裕が出てきたのでしょうね。
わたしが病気を発症する要因の大きなひとつだったとしても、嫌いにならないといけない理由もありません。好きにならないといけない理由もありません。
なら、今はまだ好きなままでもいいかと思いました。今後嫌いになったら、そのときにまたその嫌いを受け入れようと。
ただ、やはり長い間執着していた家族が近くにいたら、また、助けや理解を求めしがみついてしまいそうな気がします。
だから、実家にはあまり行きたくありません。
もちろん、家族に対しても社交不安が出て非常に疲れるのもありますが、一番はやはり、家族に非常な努力を要することを強要して、困らせたくないのです。
のんきに笑っていてほしいのです。
だから、わたしや病気のことを理解してもらえなくても、泣きたくなるほど寂しいけど、離れていられるなら頻繁に感じることもないし、まぁいいか、と思うことにしました。あるいは、思えるようになれるといいなと思って実践中です。
これが、わたしとわたしの家族のお話です。
もしも、家族を好きでなければならないと思ってる方がいたら、そんなことはないと言いたいです。
逆に、家族を嫌いにならないといけないと思ってる方にも。
わたしはどっちでもいいと思います。
おかしいものでもなんでもないです。
これだけ自分の物語に影響を与えてくるキャラクターたちなのだから、好きにも嫌いにもなるでしょう。
わたしにはたまたま、そこまで直接的に暴力を与えてくるような、金銭面などで明らかに悪事を働く家族はいませんでした。だからたぶん、好きなままでいいかな、なんて結論にしただけです。
家族に感謝しなくてはいけないと思ってる方にも、家族を恨まないといけないと思ってる方にも。
それに感謝してもいいし、恨んでもいいし、両方の気持ちを持っててもいいと思います。
特に感謝なんて、相当に余裕ができなければ生まれてこない気持ちだと思います。
わたしもこれまで、たくさんのひとに支えられてきたというのに、しんどいときの頭のなかでは「クソが。みんな○ね」とかばかり考えていました。嫌われるのが怖いから決して口には出しませんでした。同様に、ほぼ毎日考えていた、消えたいとかなんでまだ生きてるんだろうとかいう気持ちも、誰にも言えませんでしたが。
笑い話のように言ってしまうのも困った癖ですね。でも、真剣な話です。
さて、まとまりもなく長いお話をしてしまいました。
ですが、ただのつぶやきですので、ここまでご覧になった方がいたなら、どうぞご容赦くださいね。
誰かの、なにかへの参考になるといいのですが。
それでは。
回答一覧
うーん、いちど投稿エラーになったので入りなおしてつぶやいたら、コピペで二回貼ってしまいました (((;‘ω‘)))
削除の仕方を探したのですが見つからず。ないんですね!
長いのが更に長くなってえらいことになりましたがこのままおいときます。
ごめんなさい!