何で投稿すればいいか分からないのでつぶやきで投稿させて頂,,,

墾田者さん
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墾田者
さん

何で投稿すればいいか分からないのでつぶやきで投稿させて頂きます。



 去年、高校を辞めました。

 
 私は生来、大して得意なことがありません。
 運動が苦手で、人付き合いも得意ではない。かといっても他人と交流出来ない、または他人と一切交流したくないという程に社交性が無いわけでもない。最低限の交遊関係を一方的に欲していました。そんな自分のことを「無能で無口な一般人」と見なしたのはいつ頃だったのでしょう。
 小学4年生位だったと記憶していますが、確かではありません。


 当時から今に至るまで、私は本を読む事が好きでした。
 しかしながら、運動が出来ずに本を読む子供というのは子供内のコミュニティでは排外されやすいのか、嫌がらせを受ける事もしばしばでした。
 一度は「女子に男性器を見せびらかした」というデマを流布された事もありました。
 当時の担任は、私と私に男性器を見せられたという女子との話し合いを設けましたが、終始女子側に立って話していた様に記憶しています。
 全く持って酷い話ですが、教師などはそんな物でしょうか。
 結局、私が彼女に謝罪する事で全ては無かった事になりましたが、今でもこの事は覚えています。

 
 ちょうど同じ時期に東北の地震がありました。
 あれ以来、私は地面が揺れ動くあの感覚を常に恐れるようになりました。テレビに連日映し出されるドス黒い波が、多くの人と同じく今も私の心を打ち付けているのです。
 そんな地震の直後の事です。
 詳しくは言えませんが、私の母方の祖父母の実家が東北地方にありまして、地震と津波、それから何よりも放射能から逃げる様に、東北の親戚達が都会に出ていた祖父母の家にやって来ました。
 私の父母も手伝いに行きましたが、何分父母も祖父母もあくまでも一般人でしたので、いきなりやって来た彼等を捌ききるなんて事は到底出来ません。
 日に日にやつれていく家族を見ながら、私は東北の親戚を心配するでもなく、家族を手伝う訳でもなく、ただいつ彼等は元の所に戻るのだろう、いつ私は元の生活に戻れるのだろう、とだけ考えていたように記憶しています。子供にしたってなんて薄情な奴だろうと自分ながら思います。
 それに、今でも悔やんでいるのですが、当時の過激な新聞や、ニュースの報道をありのまま親戚の前で話してしまった記憶もあります。
 愛の反対は無関心とよく言われますが、中途半端な関心は却って相手を傷付けるのでしょう。
 「福島にプルトニウムが発見されたらしいですよ」などと評論家ぶって意味も分からず発言した子供の頃の私は、今とまるで変わらず愚かでした。

 
 そうして、一年がたった頃でしょうか。突然、祖父が死にました。
 祖父は私がこれまで会った人の中で最も高潔で、優しく賢い人でした。
 だからこそ、親族の苦しみを我が身のように感じ、内心の不調を隠してしまっていたのかもしれません。突然倒れて、そのまま治療室に運ばれて、あっという間と言うにも急な事でした。
 私と祖父の最後の思い出は、治療室で横たわる祖父の手の、冷えきったゴムの様に柔らかく奇妙な手触りと、止めどなく流れる涙を拭う事も止めて、ただ祖父の手を握り続けた、私自身の両手による皮肉な程の暖かな感触だけです。医師に退出を促されるまでずっと手を握っていたように記憶しています。普段は気丈な母が、声を枯らして泣いていました。
 今にも後にも、自分の命に代えても救いたい人と神にまで願った人は祖父しかいませんし、きっとこれからも居ないのでしょう。

 
 祖父の死後、私の心の奥底には空虚や退廃感、無気力が形を為していったように感じました。
 いつもの通りに学校に通い、いつもの通り友達と世間話をして、いつもの通り家に帰る。
 そんな暮らしを続けていても、いつか地震で全てを失って、二度と故郷に帰れないかもしれない。優しく、賢く、気高くあっても最後は苦しんで死ぬのが終わりなのだ…そう考える様になっていきました。
 教室の窓から不意に身を投げ、命を絶とうと思った事は一度や二度では無いでしょう。

 
 小学校を卒業してもその気持ちは変わらず、むしろ中学校生活で強くなっていきました。
 元々、私は中学校で部活をやるつもりは毛頭無かったのですが、小学校の頃の友人の勧めと、親からのプッシュもありまして吹奏楽部に入る事になりました。
 結果から言えば、吹奏楽部に入った事は私の人生の中で最大級の失敗でした。
 私の中学校の吹奏楽部は絵に描いた様な、いわゆるブラック部活というやつで、放課後も顧問の機嫌次第で個人で何時間も残されたり、少しでも合奏でミスをすれば指揮棒を投げつけられたり、最初のオリエンテーションでの説明より休みがはるかに少なかったりとかなり問題を抱えている様に感じました。私は幸いと言っていいのか受けたことは無かったのですが、友人の中には体罰を受けたという者もいました。
 元々他人とは最低限しか関わりたくない私がそんな状況で一年間部活をしていると、最初はふつふつと煮立つ様な苛立ちが、次いで自殺願望と破滅願望が心の奥底でとぐろを巻き始めました。
 音楽室の中を火ダルマにして自分も焼け死んでやる…今この瞬間楽器を床に叩き落として帰ったらどれだけスッキリするだろう…といった事を考えて部活を過ごしていました。
 ロープを買ったのもこの頃です。窓の外を眺め、校庭に植わる木を眺めて、私一人でもあの木に掛けられるだろうか、あの枝は体重を支えられるだろうか…などと考えていました。

 
 しかしながら、幸運と言っていいのか分からないのですが、部活内で私に対して行われていた密かな陰口が明るみになりました。
 他の部員との関わりは少なかったはずなのに、なぜかLINEのグループ内で私に対するある種のいじめが横行していたそうです。
 これにはいくらかショックを受けましたが、私はいくつかの経験から慣れていたのもあり、これ幸いと部活を辞める算段を整えていきました。
 部活だから別に辞めても私の今後には大して影響は出ないだろう。それならいっそのこと止めてしまった方が受験にも専念出来るだろう──そう自分自身と家族を納得させました。
 中学二年の秋頃、私は吹奏楽部を退部しました。
 吹奏楽部の友人の事はあえて考えませんでした。彼等は私を止めるでしょうし、私は彼等と共に歩むべきだった困難の道を途中で逃げ出した臆病者でしたから。

 
 やがて中学三年になると、受験勉強を皆が真剣にやり始めました。
 私は対して要領がいい訳ではありませんでしたが、愚直なまでに書き取りをする事で暗記で取れる所で可能な限り点を取れる様にしました。その甲斐あってか、受験勉強の終盤ではクラスの中でも上位の成績を出せる様になっていたのでは無いかと思います。
 しかし、そんな物は部活を辞めて、一種の強迫観念に取り憑かれた様になっていた私にとっては何の慰めにもなりませんでした。
「お前は裏切って逃げたんだ」「だから他の所で成し遂げなければならない」「もう逃げる事は出来ないぞ」…当時こういった夢を何度も見ました。決まって最後には吹奏楽部の顧問が現れて私を叱責する夢でした。

 
 だからこそ、受験が終わった時は本当に嬉しかった。
 肩の荷がスルリと落ちて代わりに羽が生えたようでした。
 もう安心だ。地面は固まり、私は倒れない!私は成し遂げ、裏切りは許された!

 
 その考えは、高校初日の授業で怒鳴り散らした教師のせいで雲散霧消しました。
 そのまま高校で数日過ごす内に、私は高校全体の雰囲気が中学校の吹奏楽部に似ている事に気付きました。
 内実は腐り果てているのに表面的には仲の良いクラス…馴れ合い、傷を舐め合うカーストの底辺…ヒエラルキーのトップから見下ろし適当なカモを怒鳴り付け、その口で理想を語り押し付ける教師…それが高校全体を影のように覆い尽くしていました。

 
 私は、彼等から隠れる為にあらゆる手段を講じる事にしました。
 クソほど興味もないスマホゲームもやりました。
 無駄な出費としか思えない打ち上げにも参加しました。
 教師に媚びへつらい、わざわざ既に理解している所を聞きに行って授業への関心と自らが優等生であることをあえて誇示しました。
 下痢は止まらなくなり、朝飯はいつも吐くようになりました。
 弁当を残すと母が悲しむので、こっそり捨てる事もありました。
 夜は3時間も眠れなくなり、好きだった読書はいつの間にか単なる苦痛になっていました。
 同級生とすれ違う度に、ひそひそと私を笑う声が聞こえる様な気がしました。
 私を褒める教師の瞳に強者の傲慢と、無能への哀れみを見ました。
 そして何より、この後数十年に渡ってこんな奴らの住む世界でこんな暮らしをしなければならないのだろうという事に絶望しました。

 
 もう限界でした。
 私はロープを手に取り、最後に祖父の墓に行って、そこで死のうと思いました。

 夏休み明けの初日、私は家族に学校へ行くと偽って祖父の墓へと向かいました。まだ残暑厳しい、最後の蝉が鳴く夏の終わりの事でした。
 祖父の墓まではかなりの距離がありましたが、大した問題ではありません。
 坂道が多く、かなり草臥れましたが、どうせ死ぬのですから大した問題ではありません。
 祖父の墓を洗って、道中で買った線香を灯して手を合わせました。花は高かったので、買えなかったのです。
 墓場の少し涼やかな風が線香を揺らして、私の横を通り抜けて行きました。

 
 もう思い残す事は何も無い。私は、近くの公園の木にロープを掛け始めました。
 すると、ズボンのポケットに入れていたスマホに着信が入りました。しばし逡巡しましたが、最後に一言は話しておこうと思って電話を取りました。ひょっとすると、内心のどこかで止めてほしかったのかもしれません。
 
 
 電話に出たのは母でした。
 母が泣いていました。
 祖父が死んだ時のように、声を枯らして泣いていました。泣きながら、私に所在を尋ねてきました。学校から連絡が来たんだと、涙ながらに訴えてきました。
 
 
 私もロープを取り落として泣きました。
 自分の不甲斐なさに、自死も出来ない弱さに泣きました。
 平日に公園で泣きじゃくる高校生などさぞ不気味でしょうが、関係なく泣きました。
 そしてその時、私自身はどうしても私の命を重要視するべき対象としては見れないけれど、私の命を重視する人間がいる限り生きなければならないという事がはっきりと理解できました。
 
 
 現在はメンタルクリニックに通いながらなんとか生きていますが、はっきり言って今すぐにでも死にたいという気持ちは変わっていません。
 それどころか、高校を辞めてしまったせいで完全に逃げ場が無くなってしまいました。
 私はこのまま生きてしまうのでしょうか。
 いつか、私の命を重視する人がいなくなった後も、一人で。
 その時こそ、私は本当に死ねるのでしょうか。
 ロープは予備がまだ一本あるんです。
 
 
 誰か助けて下さい。
 
 
 駄文失礼いたしました。
 

つぶやき

回答一覧

REEN
REEN
さん
REEN
REENさん

やはり皆さんも死ぬのをやめてもロープを捨てられないんですね。私もです。
私を必要とする人がいなくなっても死なずにいられるかということは、私も考えています。

対して得意なことが無いとおっしゃいますが、高校生でこれだけの語彙を持ってつぶやきを書き起こせる人間はそんなに多くないんですよ。大人でもです。
それに人間、得意なことがなくたって別にいいんですよ。できることを出来る範囲でやるだけで十分なんだと、思えるようになりました。

言語性IQが優位なように見えますので、自己評価の低下には認知行動療法がおすすめかもしれません。
ただそれよりもまずは人との関わりを持てる場所を探すことからでしょうか。動けないタイプの鬱ではないように読めましたので。高校を中退となるとお先真っ暗みたいに思ってしまいますが、そんなことはないです。道、居場所は色々あります。医師や周りの方と相談して検討してみると良いと思います。

ユーザー810
ユーザー810
さん
ユーザー810
ユーザー810さん

文章から読み取れる事実を書いていきます。

ご自身のことを「無能で無口な一般人」と卑下されていますが、読む限りは無能ではなくただ普通です。
あと本がお好きなようですね。活字を楽しんで読めるというのは強みですよ。勉強も集中すれば成績を伸ばすこともできるようですね。
この集中力はない人にはないし訓練では身につかないものです。

また高校を中退されましたね。私も中退しましたが、その後の学歴はなんとかなりました。
人よりは遠回りですがやりようはいくらでもあります。これは間違いないと私が保証します。
むしろウマの合わない教員や同級生とお別れできてよかったですね。

またご家族はあなたを愛しています。そしてあなたもそれに応じる優しさがあります。

しばらく治療をして、落ち着いたら先のことを考えましょう。
繰り返しますが、なんとでもなります。間違いなくウマの合わない連中と顔を突き合わせているよりマシな生活が待っています。

ウルスラグナ
ウルスラグナ
さん
ウルスラグナ
ウルスラグナさん

つぶやきお読みしました
医療従事者では無いので憶測ですが震災といじめのPTSDと祖父の死をまだ受け入れきれてないのかもしれません。
まずは医者に通いながら静養に努めて祖父の死に関してはカウンセリングに通われる事をお勧めいたします
私の話ですが、私は双極性障害II型と言う障害を持っています。この障害は鬱が長く続き一年で3日ぐらい軽い躁状態になる障害です。その為小学生の時からずっと死にたいと思っていました。自殺未遂も3回あります。しかし今現在は病気も回復して希死念慮はほぼ消えました。貴方も通院と服薬を続ければ希死念慮は軽くなると思います。
高校を中退されて進路が見えないと言うのでしたら高校卒業認定試験にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?その後に大学に進むのも手です。勉強は出来ていたと仰っていましたのでそれ程現実味がない話では無いと思います。やりたくないけどそれしか打ち込めなかった、と言う様にも受け取れる文章でしたが実はコツコツとやりたくない事でも打ち込める事は「得意」な事としてカウントされます。
貴方は得意な事をお持ちになっております。それを活かしていきましょう。
実は希死念慮が消えた今でも私もロープは持っています。しかしそれを使う事は無いでしょう。
最後に「自殺遺族」で検索してみてください。貴方の自殺でどれだけの人が心に傷を負ってしまったかが分かると思います。特に貴方の家族は貴方に思いやりをかけている様に感じます。希死念慮が出た時は残された傷ついた家族のことを考えてみて下さい。