いじめに加担してしまった。僕は加害者である。 中学の頃,,,

tさん
回答数
4
t
さん

いじめに加担してしまった。僕は加害者である。

中学の頃、ある先生がなんとなく嫌われはじめた。理由はよくわからない。授業が分かりづらいとか宿題の出し方にセンスがないとか、そんなんだったと思うけど、先生のやり方に不満を貯めていた成績上位の生徒を中心にその先生を嫌いはじめて、そのうち授業なんて適当に聞いてるような普通の生徒もその先生を邪険にしはじめた。所詮ボンボンが通う田舎の数少ない私立中学だから派手な授業妨害とか、暴力とかはなかったんだけど、みんなその先生が嫌いなのを隠そうとしなくなった。教科書や宿題を忘れてもヘラヘラして、言うことを聞かなくなって、影でクスクス言い合ったりした。
僕はその頃いわゆる厨二病全開のイキリ野郎で、授業がクソな先生に抵抗するのは生徒の権利を守るための正義であるとすら思っていた。だから先生が傷つくような態度をたくさんとって空気に加担した。一度教科書忘れて注意されたのにえらく反抗的な態度を取ったこと以外、具体的なものは何も覚えてないのもクソだ。忘れやがってるのが許せない。でも僕はたしかにあの空気に加担した。むしろ楽しんで、積極的に加担した。

先生は結局その一年で移動していった。最後はやつれて、か細い声で弱々しく挨拶をして去っていった。上の学年の先輩たちに囲まれた別れの挨拶をしていたのを見たのを覚えている。出張して教えにいっている僕らの学年以外では、あんな扱いは受けてなかったらしい。
僕は僕がしたことによってひとりの人生を変えてしまった。この罪の重さにようやく気付いて以来、どうしたらいいのか分からなくてずっと苦しんでいる。忘れないからって許されるわけじゃない。誰かに喋ったからって許されるわけじゃない。ていうか他者に勝手に許されるなんてあってはいけない。直接謝りに行くなんて言語道断でただのエゴだ。先生には僕みたいなクズに二度と関わらず幸せに生きる権利がある。笑ったり楽しんだりしてしまうたびにお前にそんな資格はないと思う。当然だ。死んで詫びるって意味じゃないけど、死んだ方がいいと思う。僕みたいなのがいなくなることで世界がより良くなるんだから死んで当然だ。なんでまだ生きてるんだろう。早く死にたい早く死にたいって思ってるけど、せめて死ぬまでどうやって生きてるのが正解なんだろう。僕は加害者だ。早く死ななくちゃいけない。

相談

回答一覧

Rむぎむぎ
Rむぎむぎ
さん
Rむぎむぎ
Rむぎむぎさん

tさんこんにちは。回答失礼します。
いじめに加担してしまった事に気づき、苦しんでいるのですね。つらいですね。

まずこれは1つ言わせて欲しいのですが、「加害に気づいた事はとても偉い」です。
そんな事は当たり前だと思うかと思いますが、恐らくその当時一緒に加担していた人の中には、気づきもせず今も苦しむことなく日々を豊かに送っている人が多くいるはずです。
そんな中で、tさんがその罪に気づいた事は、これはとても素晴らしく清い事だと思います。

今「加害した自分はクソだったと思っているtさん」と、「過去に罪だと思わず加害したtさん」は、「最早別の人間」であると私は思います。

勿論加害した事実は消えないですし、tさんがtさんである事も変わらないのですが、罪を理解したという点で、tさんはもう別の人間となってしまっていると思います。
その上で、「罪を犯した過去」を受け入れなければならないという状態に今なっているのですから、それは苦しくて当然です。


それから、「死は償いにはならない」です。これはtさんも言葉では述べていますが、同時に「死ぬべきだ」とも書いていらっしゃるので、まだ自責で混乱しているかと思います。

「罪人は償うべきだ」という考えと、「罪人は死ぬべきだ・不幸であるべきだ」という考えが全て同居している事かと思いますが、ここは「償うべきだ」を優先してください。
そして、「死は償いではない」と改めて自覚してください。

tさんは、今罪を自覚したことにより、酷く苦しんでいます。
私は「それ自体が既に罰として機能している」と考えます。
苦しんでいるのが罰なのですから、死というのはそこから脱するという事にはならないでしょうか?(勿論、死ぬ事は自由です)

私は今こうしてtさんに回答していますが、それは今朝方とある知人を間接的に傷つけたという自責の念からです。今、私が知人に対して出来るアプローチはありません。

tさんに回答する事で知人が得られる幸せなど1ミリもありませんが、
それでも私は今こうしてtさんに回答する事が必要なプロセスであると考えています。
それは、「自責の念を払拭する」というプロセスです。

自責の念に囚われている人間は、「償う」という行為をする事はほぼ出来ないと思っています。
なぜなら、自責というのはとても辛く、建設的な思考をする事が困難であるからです。
建設的な思考が出来ない状態で、償いを行う事ができるでしょうか。

tさんが行った事に対して、何が償いになるかは分かりません。
ですが、「それは今考える事ではありません」。

「償いをする為に」「自責の念を払拭する」という事が、まずは必要ではないでしょうか。
個人的ではありますが、私はそう思います。

さとうだいこん
さとうだいこん
さん
さとうだいこん
さとうだいこんさん

こんにちは。
あなたがこれからも生きて、誰かの傷をかばえるようになったらいいと思いませんか?
傷つけられたひとと、傷つけたことに無自覚なひとしかいないなんて耐えられなくないですか?
こんどこそ守りたいと願うひとたちの仲間になってほしいなー、と思います
間違えたらやり直していいんです。

最近のことではなさそうだと思ったのですが…なにか気付くきっかけがあったのでしょうか。

サイタ
サイタ
さん
サイタ
サイタさん

中学の頃担任だった新任の先生が、あなたの経験と同じように主に男子からからかわれたりいじめられたりして泣いている姿を見ることがよくありました。他の先生がわざわざ担当授業の時間を潰して、新任の担任に対する生徒の態度を泣いて注意したこともありましたが効果はなく、結局あなたの経験と同じようにその担任は一年で私たちの学年担当から外されてしまいました。

その頃私は傍観することしかできなかったのですが、15年ほど経って中学の同窓会が開かれた時、その先生が当時の担任だからと招待されたのです。
さすがに嫌な記憶だけだろうからいらっしゃらないと思っていたのですが、先生はいらっしゃいました。
この時、当時先生いじめの中心だった男性たちが揃って先生に頭を下げていました。
あの時は本当に申し訳ありませんでしたと謝りに行く男性が多くて呆気に取られました。
先生は笑って彼らと話をしていました。
先生は今も教壇に立っていること、あの頃はほんとに泣くことしかできなかったけど今は笑って思い出せるということを聞いて、私はあの頃どうしようもなかった男子たちが立派な男性に変わったこと、先生がとても強い人になっていることに合わせて驚きました。
いつか、あなたにも先生に会って謝れる日が来るといいなと思います。

揚げ豆腐
揚げ豆腐
さん
揚げ豆腐
揚げ豆腐さん

今から謝りに行っても私はいいと思いますよ。私だったら、自分を昔いじめた人が謝ってくれるなら、それで許せると思うし、かなり救われます。いじめた事を謝ってくれる人なんて世間には全くいませんからね。もしくは、会うのがしんどい場合はお手紙でもいいと思います。伝えても損はないですよ。