あなたに守ってほしいんだ。 自立したい。ありのままを見,,,

nonameさん
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noname
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あなたに守ってほしいんだ。

自立したい。ありのままを見れるようになりたい。息を吸いたい。学びたい。人生の主人公になりたい。
でも、自立を迫られたくない。
大人、主体、理性、自由に対する責任、教育、セラピー、成長、問題解決者としての自覚、覚悟、今はいっさいいらない。
自分の傷も至らなさも後ろめたさも見たくない。
ありのままの事実なんか何も見たくない。本当のことなんか聴きたくない。学びたくない。生きたくない。
ただ守られたい。家にかえりたい。包まれたい。温かさがほしい。君は大丈夫なんだよとひたすらひたすら守ってほしい。
もうずっと前から自分だけでは限界だ。
いくらやっても自助努力に消耗する感じしかないんだ。
お願いだ。ただ守ってほしい。
あなたにしばらく、僕に対する責任をあずけることを許してほしい。

こういうことを聞いたあとに、あなたから「どうすることもできないんだよ」「そういうことは神しかいないんだよ」「重すぎる」「自他の境界ができていないですね」「境界性パーソナリティ障害ですね」「みんなそうなんだよ。みんな寂しさをもって生きているんだよ」「君は君、私は私」「認知が歪んでる」「自分で見つけるしかない」なんて言葉を絶対に聞きたくない。あなたに話を聴いてほしい。あなたであってほしい。
セラピストから「私たちの立場はこう(カウンセリングの際の注意事項)なので云々」なんて聞きたくない。
「ふむふむ。あなたはそう思っているのですね。なんでそう思うのですか?」と自己内省もされたくない。
それを言わないでほしい。最初っから僕の一番してほしいことの断念を迫るなら、僕の中から主体性を引き出してはそれを育てようというストーリーを進めようものなら、僕は困りごとは言えない。

過去に安心安全を感じられた時期がある。15歳くらいまであった。それは生きている上でもっとも大切だと自覚していた。この安心安全を元に、もっと自分を育てていきたかった。
でもそれが突然なくなって、もうずっと生きることに難儀している。ずっと世界が怖い。人が怖い。未来が怖い。何もできず悪いところもたくさんある自分を見るのが怖い。自分が何をしたいのかどうしたいのか掴めない。不確実性の中で自分を支えるだけの心の中の拠り所がまるでない。心がずっと嵐のまんまで、一度も心の底から安心した状況に戻れない。人生の危機がずっと続いていて、もう自分で自分をコントロールできない。そんな状態で社会のなかで揉まれながら安心を育てましょう、みたいな自助はあまりにも難しかったし、人に守られたいのになんで自助を迫るの?という拒絶の気持ちもある。だから悪いけれど、ここで「自分を育てましょう」はやめてほしい。最終的に自分を支えるのは自分だけど、この嵐の中でそれをやれというのは、僕は納得できない。
いつか、「みんな苦しんでいるんだよ。みんなそうなんだよ」と言ってくれた人。僕の両親。先生方。本当に人は、ずっとこんな不毛な嵐を抱えて生きているの?僕はこんな人生は嫌だよ。自分に子どもがいたらそうさせたくないし、自分の大切な人にもできる限りそういう想いをしてほしくないよ。それは間違ってるよ。
だからお願いだ、僕を守ってほしい、そこからもう一度安心安全を感じたい、そこからもう一度自分を成長させたい。それを「どうすることもできないんだよ」と言われれば、絶望しかない。十分絶望だと思う。最初から断念前提・迂回策前提なら、その上そういう話を、表面上の浅い受容と共感のやりとりを通じて交わされるのなら、何も言えない。
傷つきに耐える勇気なんか求めないで。僕のめんどくささに付き合って。
「『助けて』と言おう」というのなら、どうか僕の「助けて」も、そのままのかたちで応えてほしい。

ただあなたに守ってほしい。
僕を守ってほしいのは、人智を超えた畏怖の対象である神様じゃないんだ。
医療行為でもないんだ。キャバクラでもないんだ。
あなたという人間に、僕の存在、生命を守ってほしいんだ。
ずっとそうしてほしいなんて一言も言ってない。
僕が自立するまでのしばらくの間、近くに寄り添ってほしい。
それこそが僕にとって必要な支援なんだ。

あなたという人間なんだ。
あなたであってほしいんだ。

回答一覧

noname
noname
さん
noname
nonameさん

「君は悪くない」、と、自分に言い続けてる。なぜ、と言われても、それが現状一番楽にしてくれて、マシなだけ。そう体感している。

これを他人に言われたくない。もし、あなたが言うのなら、上に書いたように、僕を深く近く守ってくれる人であってほしい。むしろ、僕はあなたの言葉を待っている。その距離で言うのは遠すぎるんだ。
でも、そうでないのならば、言わないでくれ。わがままだけど。
そしてそういう僕を見て「そうそう、自分で自分を愛するしかないものね」「そうだよ!それが『自分で自分を愛する』ってことなんだよ」と言うのなら、僕はその人を永久に許さない。襟首をつかみくなる。録に関わろうとせずに気持ちのいい言葉を投げないで。

関わるのなら近いところまで来て、居て。

ダメじゃない
ダメじゃない
さん
ダメじゃない
ダメじゃないさん

こんばんは、もしくはおはようございます。

自分の求めるものを文字にして、「こう言うのを求めてます!」と言ったり探すのは、別に間違ったことではないと思います。(なので、よく回答させてもらってます)
しかも、nonameさんは「こう言うのを求めてます!でも、こう言うアドバイスは苦手なので控えてもらいたいです。そう言うの言われても、今はできないですし、負担です」
ときちんと毎回文章にして頑張って伝えてあるので、回答する側としては、それらを踏まえて相談に対して回答するまでだと思っています。
私はやはり、自分の知る範囲や考えつく範囲で、相談してる方が現状を少しでも生きやすくなったり、少しでも楽になったらいいなと思って回答しているので…。

あと、素直に自分の感情や求めるものを表現して求められるのは、個人的に見習うべき点かもしれないなとも思います。
私は他者のことを考え過ぎたり優先してしまい、自分の欲求や要望を我慢したり、抑圧してしまうことが多いので…。

私は一人に偏らず分散させてはいるのですが、浅く広く頼ったり支えてもらってきてると思いますし、もしそう言う周囲の方々がいなければ、今頃生きていられたかわかりません。
なので、なんとなくnonameさんの求めているものに対する気持ち、少しわかる気がするんです。

相談ではないので、ただのオチもないコメントですみません。

質問者のコメント

ダメじゃないさん、いつも有難うございます。そのように言われて嬉しいです。
Webの相談は、話の中で湧く、もやっとした部分を落としやすい。そこに僕が大事にできなかったものを感じるし、そこを掘り下げ伝えようとした結果かもしれません。でも、素直な表現が自分を救うのか、人ととして間違ってないか、後ろめたさもあります。着地点が見つかってほしいですね。

あと、僕はこのコメントにも支えられてますよ!

noname
noname
さん
noname
nonameさん

それでも、「『助けて』と言い続ければ必ず助けてくれる人が現れるから、どうか言い続けてほしい」という、いろんな支援者や元(あるいは現)当事者の声を信じて、こうやって声に出そうとしているのかもしれません。割とそれに支えられています。