人目が気になり自己批判をついついしてしまう。好きなことを,,,

ぴーなつばたーさん
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ぴーなつばたー
さん

人目が気になり自己批判をついついしてしまう。好きなことをすぐ捨ててしまう。

…という事で相談させてください。
30代で、発症時期はっきりしていませんが(病院に行けたのが20代なので)気分変調症とADDと診断されてます。女性です。
無力感やドカ食いに時たま悩まされる、忘れっぽいほかはあまり強い抑うつ症状は出てません。出てませんというより過少評価してるだけかもしれないですが…。

ライフスタイルや普段の態度が全く違う人と仕事をしていると恐怖を感じます。
特に、化粧とファッションとかキッチリしている同性がつらいです。もう少しちゃんとしなくてはと思うのですが、本音としては異性にも同性にも、モテとか恋愛とかを望んでいません。
そういう本音は到底言えない、というあたりが怖いのですが、だんだん気落ちしてきちゃいます。
それと、すぐ不機嫌になる人が身近にいると全く落ち着けなくなってしまいます。幻聴ではないのですが、「ぜんぜん関係ないことで怖がってしまって、自意識過剰」とか、そういう批判を自分に向けてしまって。。他人からも子供っぽいとか感情がないとか言われてしまって、それを心の中ではねのけてるうちに疲れてしまいます。
なんだか、愛想笑いもできなくて、仕事ではやんないとなあと思ってます。
実のところ、何にも他人の憂鬱とか不満が気にならない人から「あいつはちょっとおかしい、危ない」って思われたらすごくシャクに触るので、怒ってないわけではないのですが…。
そんなことを繰り返しているうちに、気に入って買ったものでもすぐ捨てたり、好きだったこと(結構、男の子っぽいことが多いです)を放り投げてしまいます。
なんだか、恋愛とかやらないだけで同じことやっていても印象が違うんじゃないか、と思ったらぐったりしてしまって。

べつに攻撃されてるわけじゃないのはわかってる、のですが芯が無く、人によっては「この歳なのに」みたいに言われるのが本当に悔しいですし、自分勝手の裏返しなんだろうなあって感じもあります。
どうにか自分の好きを守りたいです。

結構書き散らしでしたが、似たような事感じてる人いたらコメントが見てみたいです。よろしくお願いします。

仕事のストレス 自己批判

回答一覧

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

おはようございます。。。
ごく近い過去数年前までにそうだったので書いてみます。

父が喜怒哀楽が激しい人で、よく怒鳴ったり、叫んだり、テーブルを殴ったり、、、人への暴力はなかったですが、音にビクビクして育ちました。
相談者さんと同じように、周囲に不機嫌な人がいると気分を持っていかれるし、周囲の人がどういう気分か?何を考えているのか?にとても敏感でした。
いつも消えてなくなりたかったので、できるだけ小さく居られるように猫背で背骨も丸めて座ってました。

家庭を持ちましたが、夫の不機嫌にとても消耗しました。非常に温厚でDVどころか怒鳴ることもないのですが、ちょっと舌打ちしたりため息を疲れるだけで、頭をかきむしりたくなるくらい居たたまれなくなったり、子供二人への対応に自分を全部持っていかれていました。

最近、ある若い親御さんたちグループを観て、なんて自然体にリラックスして居るんだろう?私達世代みたいに競争したり張り合ったり影口言ったりとかそういう肩肘張った雰囲気がない?と思いました。

なにが違うか考えて。
あ、自分を卑下する為に比べたり、言ってもどうしようもないことを言ったりしてないんだな?、、、比べるにしても、心から褒めたり妬みとかでなく純粋に羨ましがったり、苦手だったり失敗だったりをあげつらうようにからかったりとかしないんだな、だから安心して居られるから、ゆったりしてるんだな、って。

子供が成人して、自分が気分循環性障害という病気であると診断され、この病気はACの人がなりやすい傾向にあると言われて。
AC特有の「自他の境界線」がない、ことから周囲の人々の考えや気分を自分自身のモノのように感じてしまうので、振り回されてすぐに疲れるのだ、ということを知りました。
相談者さんが仰る『周囲に振り回されない人』というのはこの「自他の境界線」がしっかり引けてる人なんでしょうね。
そういう人たちというのは、どうやら私が観て衝撃をうけた若い親御さんグループの人達のように居られるようです。

以下、主治医の指示のもとで取り組みました。
人がどうか?ではなくて、自分が今何を感じるか?他人の眼鏡を通してでない、自分を観る、というか自分を自分で感じること。
自分を卑下したりどう見られてるのか?を気にするために比べるのではなく、成長や改善や人との友好関係を築くためにだけ比べる。
そういうことができるようになるために、自分の感じてること(楽しい、嬉しい、悲しい、気持ちいい、つらい、疲れた、など)を否定して打ち消さないようによく手元で味わうように気をつけるようにしました。
趣味を自分自身の感じるためだけにしました。(他者と比べると下手さ加減とかでやってられなくなりますから…)
嫌なことがあったら、自分のできる対応をした後はもう「まあ…いっか…これ以上どうしようもない」と無理やりにでも諦めるようにしました。

「しました」ってサラッと書いてますけど、勿論徐々にです。
人との居るときは、「ソレはあなたの感情や問題、で、私のモノではないから関係ないしどうしようもない」「コレは私の感情や問題、で、あなたには関係ないしどうしようもない」「ソレは互いに被る部分があるからお互いに話し合う必要があるかもしれない…」というふうに、意識して仕訳するようにしています。

今流行りの『丁寧に生きる』とかいうのなんでしょうけど…ま、そりゃそうですよ、自分自身を粗末にしたら、自分自身が荒廃するのは当たり前ですよね…流行りとか関係ない当たり前の事が流行するってこと事態が現代の闇ってなだけで。
こういうふうにしていって、だいぶ平静な時間を過ごせるようになってきました。
「自他の境界線」のことはネットでもいろいろ出てるので興味があったら調べられるといいと思います。
長々と一気に書いてしまい失礼しました。

質問者のコメント

ありがとうございます。つらい過去がおありなんですね。
嫌味なくお疲れ様です、と言いたいです。

私の出身も…。
かなりお金に恩着せがましい親の元で育ってます。子供はとってもうるさくて金食い虫なんだなと、やさしくない事を感じて凹みますが、そういう扱いだったんだろうな…と。
そこは「つらかったなあ」でいいんですね。
対処してきたことも参考になります。焦らずに行こうとおもいます。